四国山岳紀行 No287-031210 白峰山(しらみねやま) 337m △3(東山)
                              香川県坂出市 地図 白峰山(北西)  山岳紀行トップヘ


         白峰山は五色台の西端                       登山口から城山方面

香川県の北部にある五色台は白峰、黒峰、青峰、黄峰、紅峰の総称で今回はその中の 白峰山(337m) に登ってみた。この白峰山は五色台の中で最も西端に位置して五つのピークを構成しており、最高点のピークは陸上自衛隊演習場入り口にある標高400mのピークである。続いて標高357mのピークは四国霊場白峰寺の東上のビークで、今回登ったピークは坂出保養センター東上にある、標高337mのピークである。


                       ドライブウェイにある登山口

三角点のあるピーク直下には五色台ドライブウェイが通っており、裏山に登る感覚で三角点のあるピークに到達することができる。この辺りの道路からは南東から北西にかけての大パノラマが広がり。眼前に城山、手前に国分台、西には坂出市街、瀬戸大橋の全容が見渡せる。三角点のある337mのピークへは保養センターの東側100mほどの道路が広くなった路肩に車を置いて、ここから山側の踏跡を駆け上がって行くと10分ほどで三角点のあるピークに着く。


                       広いバカ尾根が広がる山頂

ビークといっても緩い勾配上の松と雑木が混生するバカ尾根で、どこが頂上なのか判然としない。100mあまり踏跡を進んで行くと小道は下りになるが、その手前で左に向かう刈り込み跡の小道があり、そこを更に100mほど進めば左手に刈り込み跡の空間が見えて来る。その刈り払われた一角に三等三角点と国土地理院の三角点標柱がある。ここの三角点名は東山(ひがしやま)と称している。周囲は松と雑木の混生する林に囲まれて眺望は無い。


                        林の中に三等三角点を確認

林の中に踏跡が南に下っているが、帰りは往路を下った方がよいだろう。道路が近くを通っているので山に登ったというよりは散策して来たという感じの山である。白峰山は古来より霊山として崇められ、崇徳上皇の物語は、四国行脚の旅に出た西行法師が上皇の亡霊に出合うという上田秋成の「雨月物語」が有名である。また白峰山の守護神として地元で愛着を込めて「さがん坊はん」と呼ぶ相模坊天狗がある。


          白峰寺本堂への石段                         重ね屋根の山門

白峰山の相模坊天狗は「保元物語」「雨月物語」「源平盛衰記」など多くの文献に登場。鞍馬山の僧正坊(京都)、相模大山伯耆坊(神奈川)、などと並ぶ日本の八天狗として名高い。相模坊天狗と崇徳上皇との結びつきは深く、保元元年(1156)皇位継承への確執から保元の乱が始る。戦いに敗れた崇徳上皇が讃岐の松山に流され、8年後、長寛2年(1164) 同地で不遇のうちに46歳の生涯を終える。


          白峰寺本堂と大師堂                         崇徳天皇白峰御陵

白峰山の相模坊が天狗界で隠然たる地位を確保したのは、崇徳院が亡くなってから、ひたすら院の霊前につかえ霊を慰め、白峰の霊域を守護し、今も守り続けているからだとされている。その崇徳上皇の御霊所は白峰寺境内にあって頓証寺殿に祀られており、御陵はさらに100mほど上った右手杉の巨木の木立の中に聖鎮されている。白峰寺は弘仁6年(815)白峰山に登られた弘法大師が宝珠を埋め、閼伽(あか)井を掘って衆生済度を誓願されたのが始まりだといわれている。

貞観2年(860)智証大師は白峰大権現のご神託により、海上に光を放っている霊木を引き揚げて千手観音を刻んで本尊として安置した。その後盛衰の歴史をくり返し、本堂は慶長4年(1651)高松藩主 生駒公が再建したもので、大師堂は文化8年(1811)松平頼儀公によって再建されている。白峰山の中腹に佇む四国霊場第81番の綾松山白峰寺は、そんな歴史を刻んできた霊場である。そしてその霊場を取り囲むように白峰は聳えている。

《コースタイム》 登山口 10分→東山三角点 5分→登山口 歩行時間 約15分 難易度 @2345
          駐車場 無 登山口の路肩に可 登山道 荒れている
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