四国山岳紀行 No201-000716 楢原山(ならばらさん) 1041m △4(奈良原)
                                愛媛県今治市 地図 鈍川(南東)  山岳紀行トップヘ


        朝倉方面から見た栖原山                      玉川馬切から見た楢原山

愛媛県今治市玉川町に位置する楢原山1041m は高縄山、北三方ヶ森と共に高縄半島北部にある代表的な山である。今回はこの楢原山に纏わる歴史をひもどきながらの登山となる。山頂には歴史を偲ぶ経塚跡などが残っており、側に新しく再建された楢原神社の社屋が建っている。旧社屋から移されたご神体は、今治市別府の大山祗神社内に奈良原神社分神として安置されている。


                        今治別宮にある奈良原神社              

歴史は今から700 年前の南北朝時代に遡る。北朝軍に攻められた長慶天皇は高野山から伊予の国今治に亘り、蒼社川を遡って玉川の光淋寺に逃れたが、更に追手の目を逃れて楢原山に一時身を隠したと伝えられている。光淋寺の本殿横には奈良原神社が祭られ、牛に乗った長慶天皇像が安置されている。


                 玉川光琳寺に祀られている牛に乗った長慶天皇像(中央)

山麓にある 「千疋峠」 は天皇の家来が千頭の馬に乗って戦い、敵軍を打ち負かしたと言う伝説の場所で、後に人々が天皇の魂を慰めるため、奈良吉野の桜を再現しようと千疋峠から楢原山まで、沿線に何千本もの桜を植えて代々守って来た。ここを訪れた俳人、吉井勇は長慶天皇を偲んで 「大君の桜咲きけり かしこみて 千疋峠の花をおろがむ」 と詠んだ句碑が建てられている。昭和30年代まではここは桜の名所で人々の憩いの場でもあったが、今は訪れる人も無く荒れている。


         上木地分岐にある道標                        登山道は広く歩きよい

今日は楢原山のご神祭のため奈良原神社宮司さんと、地元の方々とともに楢原山に登った。鈍川温泉郷を過ぎて渓谷沿いに4キロ近く行くと右手の林道入口に「奥道後玉川県立自然公園 楢原山登山口」と記された大きな看板がある。ここ下木地から湯の谷林道終点(920m)まで更に4キロほど車を乗り入れるとそこから頂上へ広い登山道が延びている。この時期カヤが被る所もあるがよく踏まれているので歩きよい。


                 子供が七人抱えの初代子持杉の残骸と在りし日の姿

地元の門田さんは85才というのに健脚で先頭をどんどん登って行くのには驚いた。あそこが宿坊跡、ここがお堂があった所などと説明を受けながら、ややきつい坂を登り詰めると、上木地から登って来た登山道と合流する。側には朽ちた県下一だった子持杉の巨大な株が目を引く。近くには二代目の子持杉が大きく育っており、県の天然記念物に指定されている。宮司さんは神木であるこの杉にもお祓いを唱えて頂上に向かう。


         近くにある二代目子持杉                     朽株の中に小さな杉が育つ

きつい最後の急坂を登り詰めれば頂上に着く。礎石に囲まれるように 「奈良原神社本社跡」 と記された大きな石碑と祠が佇む。その裏面には「奈良原神社は社伝によると持統 4年創建、牛馬の守護神として県下に広く信仰普及していたが、牛馬の減少に加え、木地部落民(氏子)全員が今治地域に移住するに至り、やむなく昭和47年 3月今治市別宮、大山祇神社境内に分霊を鎮座する。平成4年8月吉日 氏子中」と記されている。


           頂上での神事                           頂上にある経塚跡

お祓いの後神事が行われ、静かな空間に宮司さんの祝詞が響く。奈良原神社の神々のお祭りをした後、国宝伊予の国楢原山経塚出土品の発掘に携わった、地元の門田さんにその頃の話をして頂いた。昭和 9年8月26日雨乞いのため、社殿の周囲を清掃していた時に、落ち葉の間から崩れて穴が開き出したので、掘ってみると地中から九輪の塔の先端が現れた。


         地中から九輪塔が出たとき                    玉川現代美術館に保管

これはただ事ではないと大騒ぎになり、触っていると大変な事になるというので、地区の世話人が役場と駐在所に連絡を取り、県の許可を経て発掘する段階に進めて行ったという。発掘された九輪塔や出土品は長慶天皇に纏わるもので、現在国宝として玉川現代美術館に移管展示されている。
その後長慶天皇は更に敵の追っ手をかわして楢原山から東三方ヶ森を通って山之内へ逃れたが、湯山の激戦で戦死、現在の松山市牛渕の浮島神社に葬ったとの伝説と御陵がある。



         登頂記念のヽ(^o^)丿三唱                        玉川方面の眺望

楢原山にはそのような歴史が残っており、奈良原神社は南北朝の争乱に巻込まれた、第98代の悲劇の長慶天皇を牛馬の神様として祀り、牛馬から現在の機械力に変わるまで大勢の人々に永年信仰されて来た。またこの山を開いたのは役小角(えんのおずぬ)で石鎚と同時期であると言われている。そんな栄枯衰勢の世の中を眺めつつ、幾百年と生きて来た子持杉がその真実を知っているかもしれない。そんな事を思いながら楢原山を下って行った。

《コースタイム》 鈍川温泉 40分(車)→林道終点 20分→子持杉 5分→頂上 15分→林道終点(車)
          35分→鈍川温泉 歩行時間 40分  難易度 1A345
          駐車場 林道終点に10台ほど 登山道 整備されている 
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