四国山岳紀行 No011-891030 工石山(くいしやま) 1516m △1(仁尾ヶ内山) 
                       高知県大豊町/本山町 地図 佐々連尾山(南東)  山岳紀行トップヘ


                      登山口からの工石山とゆるぎ岩

工石山という名の山は高知県に二つある。この工石山は県境に近い奥工石山と呼ばれる山である。愛媛県と高知県の県境の笹ヶ峰トンネルを抜けると高知県大豊町に出る。工石山(1516m) に登るには県道川之江大豊線を経由する。かってこの道は土佐街道、北街道と呼ばれ、随分古くから開けていたようである。奈良平安朝時代の頃、既に中央に通じる主要道であった。


                       街道筋の説明板と旧立川書院

享保三年(1718)土佐藩主の山内豊隆が参勤交代路として利用してからは、立川に番所が置かれ、野根山、池川と供に土佐の三番所といわれる藩政時代の要地だった。その土佐の殿様が参勤交代で伊予路まで、山越えしたといわれる参道を少し歩いてみた。ここは標高800mの藩政期最後の番所のあった所で、木材の盗伐や土佐、伊予間の積荷などの監視が行われていた所といわれている。これより下の新茶屋までの急坂の山道を土佐の人々はそろばん坂と呼んでいる。



          よく手入れされた人工林                      登山口から山頂を仰ぐ

高知県側に抜けるとさすが日差しが明るい。山々に植林された杉が見事に育ち、朝日を受けて杉林の梢が輝いて、山全体は幾何学的なコントラストを見せている。立川ににある番所は立川御殿と呼ばれ、昭和49年に国の重要文化財に指定され、昭和55年から三年がかりで解体復元工事がされた。その旧立川番所のある立川から立川川に沿って、林道仁尾ヶ内線が工石山に向かって延びている。


                       登山口から尾根筋に取り付く

仁尾ヶ内の集落を過ぎると道は急に悪くなり、腸捻体を起こしそうなガタゴト道を走ること40分あまり、白山神社が祀られている工石山山荘のある登山口に着く。この山荘は地元の人々が管理しており、約30人は収容できそうである。中央には囲炉裏が設けられており、小屋の中で焚き火ができバーベキュなどの料理ができるように設備が整えられている。備え付けられているノートには登山者の感想が色々書かれていた。


                      岩場の登りとドウダンツツジの紅葉

工石山へはここから約1時間の行程である。若い植林の中のきつい坂道を暫らく登って行き、岩の多い斜面を登り詰めると稜線に出る。ブナ林の稜線をつめて行くと岩場にかかる。青空に映える紅葉が抜けるように美しい。岩場を這い上がるとシャクナゲの群生の中を行くようになる。シャクナゲや紅葉の林を抜けて、ほぼ落葉の終わったブナ林を暫らく歩くと、眼前に天を突く巨大な岩峰が現れる。



                         ゆるぎ岩の頂きに立つ

岩峰を右に巻いて急坂をよじ登れば岩峰と頂上への稜線上に出る。すぐ左手にはユルギ岩を伝って岩峰の上に立つことができる。岩峰には祠が祀ってあり、その前に土佐写友会の山名標識が立っていた。岩峰から怖々下を覗けば目も眩むような断崖、その底には錦絵に彩られた木々の紅葉が真っ盛りである。岩峰からの眺望は素晴らしく、すぐ南には白髪山が優美な山容で聳えている。



                       眼下に登山口と奥白髪林道

その山肌は非常に密度の濃い森林帯となっているようだ。西には二ッ岳を始め赤石連山が際立ち、手前には登岐山から南に連なる稜線が吉野川へと沈み込んでいる。その奥に延々と四国山地の山並が波打つ。東に目を移せば野鹿池山の向こうに剣山系が遠くに霞む。更に左に目をやれば阿讃国境の山々までが眺望できる。嬉しいことに故郷の法皇山脈の一部が望める。



                         ゆるぎ岩から東の眺望

その向こうに製紙工場の巨大な煙突の先端までもが見えていた。雄大な眺望を満悦して奥工石山を後にした。ある登山家にどうして山に登るのかと聞いたら「そこに山があるから」と答えたという。私は「美しい自然が待っているから」と伝えたい。この時期、美しく色付いた木々の紅葉が私達を迎えてくれる。そして縁があったらまた来いと優しく微笑みかける。



                       南に白髪山が大きく聳えている

《コースタイム》 登山口 1時間→岩峰 40分→登山口 登山道 よく踏まれている
          歩行時間 1時間40分 難易度 12B45  駐車場 登山口に有  次の工石山へ
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