紀行山岳日記 No001-630615 久住山をたずねて 1786.5m △1(久住山)
                                大分県竹田市 地図 久住山(北西)  山岳紀行へ



午前10時35分、牧ノ戸峠に立つ。ここ標高1333mの峠は夏といえど飯田高原よりつたわる風はひんやりと肌をかすめる。ここから九重連峰の主峰、久住山1787mへは約1時間30分から2時間の行程で、九州横断自動車道がここを通ることによって短時間で九州の最高点に立つことができるようになった。
九州を横断する二つの鉄道、久大線と豊肥線の間、中央に大きく盛り上っている九重火山群は九州本島の第一の高山、中岳、第二の久住山、第三の大船山が有り、そのほか稲星山、星生山、三俣山など、1700m以上の山が10峰以上も有り、高度が優れているにも拘らず、そのどれもが柔らかい草山で沢山の登山者から親しまれている。

九州の高山を美しく彩るミヤマキリシマツツジは尾根の至るところに大群落をしており、そのほかコケモモ、イワカガミ、マイヅルソウ、ネバリノギラン、シコクフウロウ、イブキトラノオなどの高山植物の群落も美しい。南麓には600mから900mの高度まで、久住,産山、小国の高原複雑な波状を画いて、祖母、阿蘇、津江の山々の裾まで続いている。北には周りを山に囲まれたドラマチックな風景に富んだ飯田高原が広がる。これら高原の四季の変化は実に美しく、また温泉も多く、道路の整備が進むとともに観光開発が急速に進められている。

九重山と久住山の同音の字が古くから山名に用いられ、今なお混乱をおこしている。しかし山麓に久住町とか九重町が有るので現在も総称に九重山を使うことに異論が有り、総称には仮名を用いよという協定が両町にできているそうで、ともあれ九重山という峰の無いことは事実で、これは阿蘇山、雲仙岳、霧島山にその呼び名の峰が無いことと同じである。何はともあれ九重山の最高峰は久住山と書くのが正しいそうだ。

さて、峠よりじぐざぐと急坂を20分ほど登っただろうか、体内のエネルギーが一度にここで消費されたような気がする。しかし視界が開けると跡はなだらかな尾根伝いのようだ。岩と灌木の美しい沓掛山ピークを三つほど越えると、丈の低いツクシシャクナゲやミヤマキリシマツツジの群生する、快適な展望の良い草原の尾根歩きがしばらく続く。所々に小さな森を作っているカラマツの新緑が目に滴るように綺麗だ。展望はあくまで開け西南に阿蘇五岳の寝観音の姿や、東には豊後富士の湯布岳や鶴見岳の雄姿も素晴らしい。

草原の尾根からの展望を楽しみながら20分も歩くと扇ケ鼻への分岐に着く。峠からの時間の関係でどうしてもこの辺りで休憩ということになる。腹が減ったので澄んだ水を湛えた小池のほとりで昼食を済ませていると、通りすがりのグループの一人からブレークがかかる。綺麗な声に振り向くと「四国のAKQさんですか、私大分の○○○です。その節はお空で?etc」知らない人から声をかけられる。 そうだ!あの時の? リュックのコールサインが目に留ったのだろう。空での再会を楽しみに分かれる。彼女たちは牧ノ戸峠へ。

さて、どうにか腹ごしらえもできたので出発だ。ここから広々とした西千里ケ浜の草原が続く。足元にはシモツケソウ、シコクフウロ、ルリヒゴタイ、コメススキ、ウシノケソウ、タカネコウリンギク、ケイビラン、ヤマオダマキ、エンレイソウなど、高山植物の草花が一面に群生している中を進む。途中数組の登降のグループと出合うが、中には忍者型や帽子の後ろにだれをつけた面白いスタイルをしたハイカーなど、みんな親しみのある挨拶を交わしてくれる。やがて前方に久住山のピラミッド型の鋭鋒が見えてくると、左手に星生山の荒々しい露岩が頭の上から覆いかぶさるように近づいてくる。

露岩の間を滑らぬよう注意しながら通り抜けザラ場を下ると、ブロックで建てられた無人小屋が有り、数人のハイカーが休んでいた。久住分かれのケルンに達し、スガモリ越え、北千里ケ浜より登って来たルートと合する。ここまで来ると北千里ケ浜の広々としたバックに、赤茶色のサビを流したような硫黄山の殺風景な景観に度肝を抜かれる。所々から勢いよく噴出している硫黄の噴気音が風に乗って北千里ケ浜の谷間にこだましている。実にすばらしい眺望である。大小様々な岩石の散在する中を久住山の頂上へと向かう。



ここまで登ると濃いガスが走り、頂上が見え隠れして2?300mの行程が遠し感じる。岩石の散在するガレ場の中を転ばぬように注意しながら急登して行く。頂上まであと50mという所で熊本放送のラジオが正午を告げる。とうとう着いた12時05分である。さすが1800mの山頂は風が割合強く寒い。頂上では20人余りの人が昼食を食べたり写真を撮ったりしていた。ガスがかかり九州の主な山々が見えるであろう、波状に広がった高原の果てに浮かぶ阿蘇山や祖母、傾山などが眺められなかったのが残念であった。

頂上は南と西側は深く赤谷川に落ち込んでいて、石鎚の北壁を想わせるようである。反面北と東側は案外なだらかで小さな岩のコブが至る所に有るので下りよい。登って来たザレ場を久住分れまで下りて石に腰をおろし一休みしながら、これからのルートを確認する。道標を頼りに下りは御池を経て坊ガヅルの法華院温泉へ下ることにした。

ルートを東に取り蟻地獄のような形をした空池の北側を巻く。この空池は直径100m深さ80mの空池といわれている火口跡ですぐそれと判る。深いのと水はけが無いので、誰でもどうしてここに水が溜まらないのかと不思議に思う。これに接した東の上段に美しい水を湛えた御池が有る。この二つが薄い火口壁で境されているにも拘らず、下の空池には水が全くないので、御池、空池について面白い伝説が有るそうだ。そこでもっともらしい伝説が有る。最初は空池の方に水が満ちていたが、ある日猟人がその池で獲物を洗った。赤い血が水を汚した。その祟りであろうか、みるみる水が減っていってとうとう空になった。すると不思議! それまで水の無かった上の御池には溢れるように水が噴き出しそこを泌してしまった。不浄の祟りで空池の水が移ったのだと謂う?。

空池を右下に見ながら少しザラ場を登ると新しい視界が開け、神泌に青々と水を湛えた御池が眼前に広がる。一人の老人が御池で手を清めているのが見えた。御池の北側は大きな岩が一面に露出している天狗ケ城1755mが有って、荒々しい山肌の影を御池に映し出している。御池の岸を大きく東にトラバースして少し行くと石ばかりで組み立てた防空壕のような避難小屋が有るので、中を覗いてみると15人位は夜露を凌げそうである。白いザラ場の山肌を少し下ると東千里ケ浜の東端に出た。

所々に小池の有る緩い湿地帯の平坦な踏み跡を、道標を頼りに5?60mも行くと北へ白口谷ぞいに坊ガヅルへの小道が下っている。道はススキや小灌木の間を急降下して悪い。と遥か下方に坊ガヅル盆地が小さく見え程遠く感じてうんざりするが、途中の清水が落ちる谷川の防砂堤の所で一休みしながら、谷川の岸辺に咲くクサアオイの浅黄色の花や、ダイセンモドキの紅い花が目を癒してくれる。さらさらと谷川の流れも大きくなり、眼下に坊ガヅル盆地がだんだん大きく近ずいて来るのが楽しみだ。途中誰にも合わない。



東千里ケ浜から40分余りで坊ガヅルに下り着く。オタカラコウの背高い黄色の花が満開だ。バンガローの間を通り抜けると、法華院温泉が谷の隅に隠れるように建っている。山での一日は早い。時間は午後4時頃で太陽は山陰に傾いて、少しづつ夕暮れの気配が漂ってきた。東側のキャンプ村の山陰に、沈みかけた太陽が夕映えて何となく美しい。その背景の大船山の勇容がまた美しく感じられた。法華院温泉も以前来た時のような活気は無く、盛夏のような登山人口も減ったせいか、しんと静まり返っていた。

とりあえず今夜はここにお世話になることにして部屋に案内してもらった。2?3組のグループが泊っている他は各部屋ともガランとして静かだった。夕飯をすませてここの名物である天然湯の硫黄温泉に浸かる。硫黄温泉独特の白く濁った湯であるが、抜き流しであるので、湯は豊富で実によく体の中まで温まるのが感じられる。これで今日一日の疲れも消えるだろう。湯の中でグループの人達と山の歌などを合唱。楽しい雰囲気のひと時を過ごした。明日の行程を考えながら午後8時、早めに就寝する。

6時起床、外はやっと白々と夜が明け始めたばかりだ。谷間といえ標高1300mの高原の一角では、特に空気はひんやりと肌身に感じて、今日のファイトは万全である。温泉に浸かり朝食を御馳走になり、午前7時、法華院温泉を後にする。これからの予定である長者ケ原へは約2時間の行程。コースは東へ坊ガヅルを通って、雨ケ池より三俣山を右に巻き自然植物園を経て下るコースと、三俣山の左を巻いて北千里ケ浜を経てスガモリ越えより下るコースが有る。前者は女性的なコースで有り、後者は男性的な風景のコースと言えよう。

私は後者のコースを下ることにした。温泉の左上の道をどんどん登ると坊ガヅルはだんだん下になり、しんどいがみるみる高度が上がって行く。20分ほどで北千里ケ浜の広々とした砂浜に出る。砂原の中を一筋の小さな河原が硫黄山付近から、今登って来た谷へ沢となって落ちている。澄んだ水なので試しに少しなめてみると、硫黄成分が溶け込んでいるようで酸っぱい変な味がした。飲料水にはならないようだ。

北千里ケ浜の風景は広い河原を想わせる。周囲は岩山に囲まれて特異な風景で男性的な景観に圧倒される。「山男 九重山の千里ケ浜 無我を悟るはこのときぞ」と、奇形千万な岩と自然の造作の眺めにしばらく自分を忘れる。道は北千里ケ浜の中央に設けられた幾つかのケルンの道標を頼りにスガモリ越えに通じている。昭和37年1月、7人の登山者が吹雪に叩かれて下山路を失い、北千里ケ浜を彷徨って凍死した気の毒な遭難事件も耳新しい。

このケルンはその後建てられたもので、もし濃霧や吹雪のため視界が利かなくなっても、このケルンを目標に歩けば迷うようなことは無く、30m毎に設置されている。このように広い所であるだけに、視界が利かなくなると彷徨いやすい所であるのが判る。もしこの当時半数でもこのケルンが建っていたら、7人もの遭難者を出さずにすんだろうし、鼻歌交じりに歩ける所であるのに、ひとたび濃霧や吹雪となったら、広いだけ始末の悪い場所となるとしたら、遭難場所に立ち止まって考えてみるのも無駄でもなかろうか。

荒れ果てた巨大な石を積み上げたような岩峰が頭の上から覆いかぶさるようになると、スガモリ越えは近い。北千里ケ浜と別れて、急なガレ場を道標の黄ペンキの○印を頼りに、右に少しばかり登り詰めると硫黄山と三俣山の鞍部であるスガモリ越え1540mに着く。眼下に新しい飯田高原の広々とした視界が開け涼しい風が吹き上げてくる。左手に小さな岩小屋が有り、「愛の鐘」が設置されているのが印象的だ。雨でえぐられたでこぼこの踏み跡をしばらく下ると、大きなケルンの所から三俣山西麓の崩壊しいザラ場を下るようになり、僅か150m足らずだが落石の危険の有りそうな所を進む。

シューシューと激しく噴煙の噴き出す硫黄山の北面を背にして、左に空谷を見ながらジグザグと下る。硫黄精錬所の横を通り抜け、小さな車道に出てしばらく行くと、やがて長者ケ原のバス停留所の有る九州横断道路に出た。振り返ると三俣山の堂々とした緑のスロープの山容と、白い噴煙を上げる硫黄山との対象が印象的だ。草原、岩稜、沢、一つ一つが変化に富んだ九重山。またの日に訪れるであろう。午前10時、次の予定地に向けて九重連峰の玄関口である飯田高原を後にした。



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