紀行山岳日記 No001-610815 初めての石鎚山 1982m △3(石鎚山)
                         愛媛県西条市/久万高原町 地図 石鎚山(南東)  山岳紀行へ


              1982年元日の石鎚山頂にて 今はこの人たちも爺さん婆さんか 亡き人も

今日は朝から晴れ上がった上々の天気だ。始めて期待していた石鎚山に出かける日である。登山口の河口へ向けて午前8時出発、伊予小松を経て9時50分黒川登山口に着く。ここに来ると辺りはすっかり渓谷に入った感じで、加茂川上流の荒削りの堂豪たる谷間である。川渕にバスの停留所、売店休憩所など4、5軒並んでいる。その一軒に腰を下ろすと店の人がお茶をくれた。車を預かってもらい10時いよいよ出発である。やはり石鎚山への登山者であろう、リュックを背負い2人3人と歩いて行く。ここからは道は三つに分かれ、私は中の旧道をとった。石段を登り小さな吊橋を渡って、道はじぐざぐに高く登って行く。

坂道を登り詰めると急峻な段々畑の中に藁葺きの民家が点在する。畑にはトウモロコシが大きな実をつけている。もう 100mほど登ったらしく、体が熱ってきた。タオルで汗を拭きながら進む。せみの鳴き声でなお暑く感じるようだ。どの人もこの坂で疲れたらしく一歩一歩と歩いて行く。畑を過ぎると杉林の中を進んで行くようになる。ここまで来るともう汗びっしょりである。杉林の中で一休みする。冷たい風がサーと通るごとに汗が消えるのが感じられる。同じ服装をした感じのよいパーティが下ってきた。おそらく山小屋で一泊した人達であろう。先頭のリーダらしき人がこの先に水場があるからと教えてくれた。

杉林を出た所に水場があって冷たい清水が流れ出ている。喉を潤してまた汗を流して出発である。ここから道はすっかり山に入った感じで急になる。両側は深い原生林でせみの声がやかましい。道標があって成就まで3800mとある。成就社というのは石鎚神社を祀ってある殿堂で、前山に建てられているお宮である。ここを通って頂上へ向かうのであるが、成就に着くと半分登ったようなものだ。これだけ歩いて成就までまだ3800mあるのだから先が思いやられる。しかし目的は石鎚山の頂上1981mにあるのだから、これ位で参っては登山は出来ないと頑張る。じぐざぐの急な坂道を相当歩いた。もう成就に着いてもよいと思うがなかなかの道のりである。

成就社に着いたときは足は棒のようになっていた。ここまで来ると夏の暑さも秋の涼しさとなる。成就社は大きな立派な神殿を構えた神社であった。大勢の登山者が休んでいる。改札口のような山門をくぐって目的の頂上に急ぐ。ここからはなだらかな下り坂になっていて、原生林の中の細い道をどんどん下って行く。暫らく下ると道は平らになる。小坂一也のサイクリング旅行の歌が聞こえてきた。トランジスタラジオを鳴らしながら若いパーティが下って来る。元気のよい言葉をかけ合いどんどん急ぐ。暫らく行くと頂上まで3700mの道標が立っていた。この平らな道を行きつめると八丁坂という急坂がある。この坂は道といえないほど荒れていて、途中道が崩れて石ころだらけで、木の根に掴まりながら登る所があった。

長い八丁坂を登りつめると道は分かれていて、右は前社ヶ森という岩山を越すのだが、鎖を登らなければ行けないので、左側のトラバース道を進んで行く。この岩山を巻いた所はコルになっていて、小さな小屋がけの売店があって、コップ一杯の水が 100円で売られていた。小さなコブを登りつめると絨毯を敷いたような一面の笹原である。その中を道はゆったりと続いている。ここは夜明し峠という所だ。視界が開けて今まで見えなかった、石鎚山の頂上が眼前に巨大なビルの如く現れた。その巨大な絶壁の岩峰は空に聳え、これからあの頂きに登るのかと思うと感動した。笹原を行きつめると高さ15mほどの壁に直面した。ここが一の鎖であった。

その下には小さな小屋があり、深田久弥の書いた石鎚登頂記には、ここに小さな小屋があって爺さんが手製の木彫りの人形などを売っていたとあったが、今はもこけた小屋が残っているだけであった。30年前の話だから今とは全然変わっているのもうなづける。鎖を登らないと先へ進めないと思って登ったのだが、横に巻き道があるのが後で判った。鎖は長さ50cmもある太いのを繋いだ頑丈な鎖である。一の鎖を登り権木の中を少し行くと、辺りは石鎚山を頭上に一面の笹原だ。土小屋方面から来た道と合流すると鳥居の立つ二の鎖下に着く。下には小屋が二軒並んでいて、みやげ物を売っていた。

見上げると数人が鎖を伝わって登って行く。頂上でヤッホーと声がする。振り仰ぐと人間が蟻のように小さくうごめいているのが見える。二の鎖は35mはあろうか全く高い。70度近い傾斜なので途中で足場を探りながら登って行く。下を見ると目が回るほど高い。何しろここまで息を切らしながら、何時間もかかって辿り着いたのでこの鎖登りは非常に堪えた。若い女性がふうふう言いながら休んでいた。この鎖を登るのに30分以上もかかったそうだ。ここから急な石ころ坂をじぐざぐ登りつめると、南側から登って来た面河道と合流する。すぐ上は三の鎖である。これで最後の登りであると思うと肩が軽くなった。この絶壁は70度以上あろうか一番の難所であった。ときどき足が滑りヒャッとさせられる。

長い鎖を登りつめるとそこは弥山と呼ばれる頂上であった。祠の祀られたすぐ西下には山頂小屋がへばりつくように建っている。頂上に立つと高知県側の視界が開けた。最高点に立つためにはここから東に聳える天狗岳に行かなければならない。狭い尾根を渡り岩をよじ登りながら天狗岳に向かう。頂上は石ころを積んだ小さなケルンがあった。両側は目も眩む千尋の絶壁である。ここがどうして天狗岳というのか判らなかったが、弥山に登ったとき始めてそれと判った。なるほど弥山から東へ天狗の鼻のように突き出ている。これが天狗岳の本当の姿だと思った。四国の最高点に腰を下ろし周囲の眺望を楽しむ。

東になだらかなスロープを持つ瓶ヶ森。その向こうに続く脊梁の山々、南は太平洋が望めるのであるが、遠く霞んでいるので空か海か見当がつかない。北は瀬戸内海だけあって一番期待していたのだが、これも遥か下を一面に薄い雲が覆っていて、見えなかったのは残念であった。西は弥山の向こうに尾根続きの三角点を隔てて、西冠岳が我は石鎚山の一員だぞ! というように聳えている。景色を見とれていると時間の過ぎるのも忘れる。時計を見ると2時を指していたのでそろそろ下山に移る。登山口まで足早に下って行くと5時を過ぎており、谷間はもう夕暮れの気配が漂っていた。国道に出て石鎚山を振り仰ぐと、山頂に夕日を浴びて燦然と輝いており、今日登って来たとは思えないほど崇高な姿であった。(1961.8.15)
                          
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